それと同じように、今の時にも、恵みの選びによって残された者がいる。
また、イザヤはイスラエルについて叫んでいる、 「たとい、イスラエルの子らの数は、 浜の砂のようであっても、 救われるのは、残された者だけであろう。
まだ子供らが生れもせず、善も悪もしない先に、神の選びの計画が、
福音について言えば、彼らは、あなたがたのゆえに、神の敵とされているが、選びについて言えば、父祖たちのゆえに、神に愛せられる者である。
あなたの神、主はラブシャケがその主君アッスリヤの王につかわされて、生ける神をそしったもろもろの言葉を聞かれたかもしれません。そしてあなたの神、主はその聞いた言葉をとがめられるかもしれません。それゆえ、この残っている者のために祈をささげてください』」。
そして主が審判の霊と滅亡の霊とをもって、シオンの娘らの汚れを洗い、エルサレムの血をその中から除き去られるとき、シオンに残る者、エルサレムにとどまる者、すべてエルサレムにあって、生命の書にしるされた者は聖なる者ととなえられる。